英語の勉強その後

こちらで、何度か書いておりますが、英語を勉強しております。

方法としては、毎日レッスンできるオンライン英会話にて、フィリピン人のテューターと25分会話をする。で、その前後で発音の練習、および英単語の学習。これに、英文法の本を時々読む。食事を作る時にスピードラーニングを聞く。とまあ、こんな感じです。こう書くとすごく勉強しているみたいですが、1日2時間くらいですかね。それも、用事が入ればそっちを優先する。もちろん小説を書くことも優先。しかし、それも約1年やっておりますと、英語に親和してくる。英語の考え方とか、こう話すとナチュラルなのか、とか、そういうことが体感としてわかってくる。

集中して勉強する前はブロークンなりに、旅行の時とか英語を話してましたけど、でもそれでは見えてこないことがある。こういうシチュエーションではこういう単語を使うとか、そういうことを知るのは面白いですね。この年で、勉強する面白さを感じています。しかし、勉強が面白くなってくるのはやはりある程度積み重ねが必要なようです。特に英語はある程度の時間を積み重ねることで、脳が移行していくみたいなんです。なんでも英語の習得には3000時間必要だとか。まあそこまでにははるかに足りませんが、それでも積み重なった分はちゃんと血肉になっているのを感じる。

これ、小説も一緒だな、と思ったりするんです。というのは、小説は書くことも必要ですが、読むことも必要で、ある程度の数をこなさないと見えてこないことがある。特に数を読むことはかなり重要だなと思います。教室でいろいろな生徒さんの作品を読んだりするのですが、その時点ではその方のベストなんだろうな、と思ういい作品であっても、教室ですでにそういう作品は山ほど読んだ経験があり、また自分も似たような道を通った経験もあり、そうなると、いい作品ではあっても、既視感ゆえにどこかの賞を取るのは難しいだろうな、ということがわかる。

生意気ですが、そのような判断ができるのは、そのような作品がどの程度世の中にあるのか、ということを体感しているからなんですね。数を読んでいると、あるアイデアが浮かんでも優れたものがすでにあった場合、そこで勝負するリスクを避けることができる。書くことも、大量に書いてはじめて見えてくることがある。流れるような文章は憧れで、自分はまだまだですが、そのような文章は量産することである程度できてくることがある。またそのようなことを続けていると、小説の言葉とでもいうようなものがうっすらとみえてくる。人の作品を読んでも、その作品の工夫やバックグラウンドなどもみえてきて、小説って面白いなあ!とまた認識する次第。

デジタルは、その量をこなす、時間をかける、ということを割愛するためにあるようなものですが、しかし、どこまでいっても時間をかけることの重要さ、というのはなくならないと思います。インスピレーションこそ命のような最近の風潮ですが、しかしそのインスピレーションを生かすのも時間と経験。

勉強の時間は面倒臭いのですが、でもじわじわと勉強していることが自分の身体そのものになっていく感覚は結構快感です。そしてその時間が自信になっていくんだろうな。