創作をするといい事

「時間の使い方」というタイトルでこちらにあげた記事ですが、創作をすることをお勧めしました。しかし考えてみたら、なぜ創作をするのがいいのかということについて、書いてなかったなと思いました。自分は子供のころから、創作することが日常のようになっていたので、創作はいいものだというのが当然としてありますが、創作を特別な人のするもの、というような方ももしかしたらいるかも。そもそもなんで創作がいいものなのかわからん。という方もいるかも。と気がつき、ちょっとこちらでそれについて書いてみようかなと。

創作がいいものである、というのは、人それぞれじゃないの?もしかしたら創作するのが向いてない人だっているんじゃないの?そんな考えももしかしたらあるかもな、とは思うのですが、「誰にとっても創作はいいものである」とここで断言しておこうと思うのです。しかしその創作の幅は非常に広く、わたしは畑仕事や、たとえばスポーツに関してもそれに含んでしまおうと思います。畑仕事に関しましては、亡き父が長らく家庭菜園をしておりまして、作物をいかに良く育てるのか、ということを日々考えまた実践しておりました。その姿をみるにつけ、畑仕事は限りなく創作に近いなと思っておりました。農作業をしている間、無の状態になるのも創作に通じるかと。スポーツに関しましても、勝つために作戦を考えますが、それをずっと考え続け、工夫をこらす。これはまさに創作ではないかと。

創作あるところに進歩あり。また進歩あるところに、創作あり。人とはどうしても進歩したい生き物らしい。自分を振り返っても、日々の鍛錬で創作の質が良くなることを目指します。大げさに言えば、進歩とは生きる喜びと等しいものです。直線的に進んでいく時間のことだけを進歩とはせず、いわば垂直に深まっていくことをわたしは進歩としたい。自分の納得のいく方法で、誰に誇ることもなく、垂直に進歩する。それは、そこに完全に没入することで得られる感覚で、とても個人的な感じです。誰かと比べることができない感覚です。自分だけがわかって、ああそういうことだったか。と腑に落ちることがゴール。しかもそのゴールは生きている間、どんどん深まり続ける。創作とはその深さを知るための道具なのだと思うのです。その感覚を一度でも知ったなら、世界は限りなく面白いものになり得るのです。だから、わたしは創作を人々にお勧めしたい。

創作のために死ぬ、なんてロマンチックですけど、わたしは命の方が大事です。命ある限り、この世をいくらでも探検できる。知らない自分を発見することができる。しかし、自分に合う創作というものがあるのは本当。世界はとても広く、非常に様々な創作が存在していますが、その中から自分に合う創作を見つけられるのは幸運といっていいでしょう。しかし、探さないと見つからないのもまた真実。とっかかりはなんでもいいのです。そこから石が転がるように、いろいろな創作につながり、いつか自分に合う創作に巡り合うこともできるでしょう。自分の全部を投げ出すことができる創作に巡り合うことは、夢ではありません。ヒントがあるなら、自分の中の小さな声に耳を傾けることでしょうか。それはエゴが満足できる創作ではないかもしれませんが、自分に合う手段である可能性が高いのです。どうぞ諦めずに、チャレンジし続けてください。と、これは自分にも言い聞かせ。