イタリア旅行後記

いろいろあって随分昔のことのようですが、そろそろイタリア旅行について書く機がきたかと。というか、ネタ切れなのですが。笑 イタリアに行っていたのは4月18日から27日までで、10日間の旅行だったのでした。いったのはミラノ、フィレンツェ、ローマの三都市。そもそも夫の長年の年上の親友さん(女性)がイタリア美術がたいへんに好きで、しかしまだイタリアにいったことがないと。では、月一万ずつ貯めたら二年もしたらイタリアにいけるから、そうしましょうといったのが二年前。こつこつ机貯金で貯め、実現に至ったわけです。

イタリアへ三回行ったことあるわたしですが、夫もイタリア初だったので、ザ観光地巡りでしたが、四度同じものをみてもそれなりに楽しかったのはやはりイタリアだからでしょう。はじめていったのは大学生のころでしたし、その後、亡くなった父とも家族旅行でイタリアへはいってましたから、四度目になるヴァチカンは感無量でした。時間が随分たったものだという思いと、それでも変わらずそこにありつづける風景。わたしが死んでもこの風景はここにありつづけるのだろうと、実感するような年齢になりました。

今回楽しみにしていたのはミラノの「最後の晩餐」でした。ミラノにいったのは大学生以来でしたが、そのころはちょうど「最後の晩餐」が修復中とのことでしたので、いつか行くこともあるだろうと行かずにいたのでしたが、今回、是非みようと意気込みまして、自分でネットでチケットを取りました。あとできいたら、「最後の晩餐」のチケットをネットで取るのは至難の技だとかで、非常にラッキーだったようです。英語のツアーがついているもので、少々高めでしたがそれでも業者に頼むとその二倍くらい取られますからね。はじめてみた「最後の晩餐」は本当に儚かった。壁がもろもろで、地震でもあったらひとたまりもないでしょう。今回みられて本当によかったです。

いろいろ感慨深い旅行になったのですが、イタリアにいって今回感じたのは、どこにいっても人は皆同じ、というようなこと。美しいと感じる感覚もだいたい同じで、わたしたちが行きたいと思う観光地はいちばん賑わっている観光地だし、だいたい同じようなことをしたがる(真実の口とか。笑)。若いときはカルチャーショックを感じたというか、なんでも珍しかったのですが、年をとったせいか日本にいるときとそう気持ちは変わらなかった。なんでも遠い国というのは幻想が生まれて、実際よりも数倍よく思うものなんだな、とつくづく感じた。

あと、美術といって、日本でいまでも幅をきかせているのは西洋美術ですが、ミケランジェロやダビンチが日常的にみられる環境でその歴史を持つ西洋人に西洋美術の分野で勝てるわけがない、というようなことも感じました。センスがいいと日本人が思うようなそのセンスというのは、あくまで西洋美術のセンスなのだな、という。文学でも実は同じようなことがあるのではないかと思うのです。日本人は日本人のセンスを磨かないと、西洋文化天下の世界で埋もれていってしまうように思いました。みな、美しいと思う感覚は似ているのかもしれないけれども、西洋が発見していない美が、まだまだ世の中にはあるのではないかと思うのです。

とまあ、そんなことをつれずれに思いましたが、またネタ切れになったらイタリア旅行のことを書くかもしれません。